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初めまして。
自然の前では人の文明など紙屑のように脆いですね。
自分は横浜在住で震災被害は失業した程度で済みました。
自分も今やるべき事を模索中です。
残念ながら福島原発作業員の応募では不採用となってしまいましたが、今後は復興支援活動を行っていくつもりです。
人ひとりに出来る事など知れてますが何もしないのは罪だと認識しています。
今秋には福島の温泉と地酒を堪能しに行く予定だったので支援先はやはり福島に絞りました。
これから支援活動をする為の資金を稼ぐので被災地入りは6月頃になると予定しています。
お互い頑張りましょう。
では失礼します。

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南三陸町

宮城県南三陸町へ行ってまいりました。
Twitterの履歴を追っていておにぎりひとつを家族で分け合っているという
書き込みを見て、いてもたってもいられず向かうことにしました。
現地に入っているボランティアチームの助言をもらい、今必要な物資だけを
乗用車に積んで深夜に現地入りしました。

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遠くに見えるのが海です。こんなに遠くまで津波の被害は及んでいました。
どこまでもありえない光景が広がり、あらためて津波の恐ろしさを実感します。

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津波はどこまでも執拗に容赦なく町をのみこみ、甚大な被害をもたらしました。

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もはや防波堤はなんの意味も持たなかったことがわかりました。

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無力感が全身を襲います。自然の力の前で人は、あまりにも無力です。
たくさんの人が死んだ。希望のかけらさえ残されていないように荒涼とした
大地が続いていました。涙など出ません。ただただ無力感だけです。

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南三陸町志津川には、日本中から集まった医師やボランティアの拠点となる
ベイサイドアリーナという場所があります。私は最初、そこへ物資を持って
いきましたが、山のように積み上がった物資を見て、本当に必要な場所に必
要な物資がきちんと届けられているのか不安になりました。そこで、ひとつ
ひとつの避難場所を見て回り、避難所の現状を調査していきました。

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現在、志津川エリアには、大規模な避難所としてベイサイドアリーナ、志津
川小学校と中学校に1000人単位の避難者がおり、以外に44カ所の小規模
避難所が存在することがわかりました。物資はほぼ全体に行き渡っており、
Twitterにあった、おにぎりを家族で分け合うような悲惨な状況は脱したとの
ことでした。やはり情報は自分の眼と足で確かめなくてはなりません。

私は、志津川小学校で活動を行っていた一人の女性(奈良から単身乗り込ん
できたとのこと)と日本国際飢餓対策機構のチームと意気投合し、この場所
に物資を直接手渡しすることにしました。また、ここでは、7人の看護士が
二交代制で300人の避難者の医療看護にあたっており、この7名の看護士へ
優先的に物資をお渡ししました。南相馬市の避難所でも感じたことですが、
こうした意識の高い善意のかたまりのような方々がいるからこそ、避難場所
はなんとかまわっているのです。自らも被災したというのに、笑顔で。

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東北地方の避難場所の夜は、凍えそうな寒さです。そのほとんどが高齢の方
ばかり。風呂は1週間に1回だけしか入れません。まさに衛生上の問題が浮
上しており、ノロウィルスの発生も確認されたとのことでした。土地の確保
の問題と建材受給の逼迫から仮設住宅の建設がいっこうに進まず、避難場所
での生活は長期化することが予想されます。今後、衛生対策を考慮した物資
の調達が課題になっていることを感じました。しかしなぜあれだけの医療チ
ームが現地入りしているにもかかわらず、こうした問題が発生するのか。

現場のご意見を細かくお聞きし、次回の物資は衛生対策を考えられたものを
持ち込むと約束してまいりました。急がなくてはいけない。

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食事は、現地で滞在している自衛隊の方々が作っています。数人の自衛隊の
方とお話させていただきましたが、皆様黙々と職務をこなしており、本当に
頭が下がります。自衛隊は世界で唯一、人を助けた数の方が多い防衛隊です。
馬鹿にしていた自分を恥じます。この避難所の自衛隊は沖縄から来ていました。
もうずっと家に帰っていないのに文句一つ言わずただ被災者のために。

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私が帰ろうとしていたときに、バスが二台到着しました。別の避難場所へ集団避難
する方々との別れです。故郷を離れなくてはならないつらさを一人の老人が話して
くれました。もう戻ってはこれないかもしれないと。
復興への道のりはとても遠くて厳しいものになることをわかっているだけに、その
話を聞くことしかできない自分の非力さを感じずにはいられませんでした。

宮崎駿監督の作品で「生きてりゃなんとかなる!」という力強い台詞を思い出しました。

そう信じて被災者の皆様には、がんばっていただきたい。この未曾有の災害も時間が
経てば、やがて風化していきます。でも私は、絶対に忘れません。そして、私の本当
の仕事。事業の更なる拡大、経済復興。それが被災された方々への力になると信じて
目の前にある仕事に精一杯取り組んでまいります。

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初めまして。
自然の前では人の文明など紙屑のように脆いですね。
自分は横浜在住で震災被害は失業した程度で済みました。
自分も今やるべき事を模索中です。
残念ながら福島原発作業員の応募では不採用となってしまいましたが、今後は復興支援活動を行っていくつもりです。
人ひとりに出来る事など知れてますが何もしないのは罪だと認識しています。
今秋には福島の温泉と地酒を堪能しに行く予定だったので支援先はやはり福島に絞りました。
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下河原忠道

株式会社シルバーウッド代表取締役
/薄板軽量形鋼造システム スチールパネル工法躯体販売事業/サービス付き高齢者向け住宅「銀木犀 ぎんもくせい」運営/財団法人サービス付き高齢者向け住宅協会理事

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