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強烈ですね。阪神大震災を思い出します。そう言えば、華原朋美さんがデビューしたのは阪神大震災の年1995年でした。そして今また震災との縁を感じます。地震の年に降臨した華原朋美さんは、地震の年に再臨し、また多くの人々を励ましてくれるのかなと感じています。
1日も早い復旧を祈ってます。全国民が被災したのと同じです。私も頑張ります。
  • 2011-03-28 23:58
  • 東郷
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お兄さん、朋美さんへ

ご無沙汰しております。
仁美です。
震災以来、節電のためなるべくパソコンをつけずに生活していたので、今日お兄様のブログ読ませていただきました。
お兄様の会社のある浦安も被害が大きく心を痛めております。
お兄さんの素早い行動と勇気とてもすごいことだと思います。
私も自分の中でできることを日々考え実行にうつしています。
いまこそ、甚大な被災地でない私たちが手をとりあって協力すべきです。
被災地の方にこれ以上がんばってなんて言えません。
私たちが力を与えないとだめなんです。
みんなが一つになって、今だけじゃなく長い期間で支援しなければならないと日々思っています。
お兄さんのお言葉・・・
日本をもっといい国にしよう!!
その通りです。
みなさんがんばりましょう!!!

朋美さん
海外から日本のご家族のことさぞ心配なさっていると思います。
今日本では、みんなが同じ方向を向いて助け合っています。
朋ちゃんは、朋ちゃんのペースでね。
東京ではガソリンの供給が安定してきました。
なので、久しぶりに車に乗り、朋美さんの歌を聴きました。
あなたの声は、人の気持ちを温かくする力がある。
そう改めて感じました。
  • 2011-03-29 14:48
  • 仁美
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前を向いて・・・・。

 ニュースでも見ましたが、本当に大変なことが起きてしまったんだなと思いました。けど復興へ向けて頑張っている姿を見て、励まされました。
 つらいことがあっても、前を向いて頑張らないと思いました。
  • 2011-03-29 16:01
  • KAZU
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テレビではわからない南相馬市原発被害区域への情報を知ることができました。さらに私も何かしなければという思いです。お兄さんの行動力はとても素晴らしいです。
  • 2011-03-29 17:27
  • まい
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不眠不休の行動

不眠不休の行動、
とにかく、南相馬市の市長さんの声を聴いて、
物資を届ける勇気に、頭の下がる思いです。

この世でない光景に出会い。
さぞ、驚かれたことでしょう。
ひしひしと、写真を通して眼に飛び込んできます。

自分に何が出来るか、問いかけるヒゲG。
詩を届けるしか手だてがない。と思い。

FC2のブログに
『癒しの詩をあなたに』
140字のツイッター風を詩集を開設しました。

まだ、100作程度ですが、
順次、癒しの詩をアップしていきます。
また、のぞきに来てください。

自分にできることは何か、私も自問自答の日々です。
答えは、「自分の仕事を自分の力の限りしっかりと行う」。
自分の仕事をしっかりやり、毎日を大切に生きるようにしています。
お互い頑張っていきましょう
  • 2011-03-30 12:08
  • くにりんこ
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One for All , All for One

こんにちわ。
初めてコメント致します。

私は阪神淡路大震災が起きた時、丁度、淡路島に住んでいました。
当時、中学生でしたが地震の揺れの大きさは今でも覚えています。
そして明け方地震で揺れ始めた時の父が言った一言。
「皆起きろっ!地震や!!!大きいぞー!!!!!起きて逃げるんやぁ!!」
そしてその後の記憶は未だにありません。

いま、東北沖で起きた震災での被害の大きさに驚嘆し
更には阪神淡路大震災での被害の大きさの
すでに3倍・・・それ以上は行くだろうと思っております。
当然ながら復興も10年以上の月日が掛かるだろうと予想も出来ます。

TVやニュースを見る度、当時の事を思い出しては
ただただ震えと涙が止まりません。
人、一人の力はたかが知れています。
人は一人では生きて行けません。
誰かの支えと誰かの助けが必要です。

朋ちゃん。
私の青春はリアルタイムで朋ちゃんを見てきました。
今の朋ちゃんもきっと誰かに支えられている事と思います。
キラキラと眩しい笑顔は人を幸せにすることができます。
ずっと今でも大好きな朋ちゃん。
朋ちゃんの歌と笑顔に当時の私は本当に励まされました。
今もお父様と愛犬と幸せに過ごしてくれていて何よりです。
でも辛い過去でも人はそれを乗り越えて行かねばなりません。
被災された方々と遠く離れた国からでも一緒に乗り越えて下さい。
周りを見渡しそのパワーを受けながら頑張って下さい。
被災地の方々はきっと今の現状を打破し乗り越えますから!
何年かかっても力強く今の困難を乗り越えますから!
遠くても近くても見ていて下さい。
あの阪神淡路大震災からも復興出来た様に
今回も必ず東北の方々は復興して見せますから。
そして再び落ち着いたらまた朋ちゃんのキラキラと輝く笑顔を見せて下さい。

被災地に行かれた忠道さま。
沢山の被災地の写真を載せて下さり有り難うございました。
言葉にならず出てくるのは未だ涙です・・・
地に足をつて踏ん張り、自分に出来る事をしっかりと。

One for All , All for One
  • 2011-03-31 11:16
  • WB
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何か出来る事はないか、考えたりしてます。
募金したり信用出来るチャリティーグッズを買ったりしてます。
一日も早く復興出来る事を願ってやみません。
  • 2011-04-01 18:03
  • HIRO
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初めまして

初めまして。
知人がこちらのブログを紹介してくれました。

私の実家は南相馬市です。
未だ故郷の変わり果てた姿を信じることができません。
震災翌日、テレビで見た映像に涙どころか、震えが止まらず
身体が強ばってしまいました。

今は両親は県外の私の姉宅に決死の脱出をしましたが、原発のおかげで実家に戻れません。
両親の命と実家は津波の難を逃れて、とても幸いでしたが、生き残った者の使命、復興に向かうことができないのです。

この実情を掲載して頂いたこと、ありがたく思います。
市長も必死の訴えを行っており、頼もしく思っております。

そして何より、忠道さまの行動力に頭が下がります。
こういった行動を起こしてくださることに、とても心が励まされます。
ありがとうございました。



私も
  • 2011-04-02 00:00
  • もんプチ
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南相馬市被災地写真

いろいろと悩みましたが被災地の写真を掲載します。

3

私が福島県南相馬市へ物資を届けようと思ったのは、NHKの電話取材を
受けている市長の声を聞いた時でした。

「南相馬市を陸の孤島にしないでください。原発の風評被害にあい、
 物資が届きません!物資が必要なんです!お願いします!」

プリウスなら福島まで行って帰ってこれる!
私は社員の皆へ頼み、ありったけの粉ミルクとおむつ、そして食品を
購入し、乗用車一台に積み込んで現地へ向かいました。

4

約12時間の運転。途中、原発から20キロ圏内に差し掛かり
郡山まで迂回しなくてはならなくなったことで時間がかかりました。

現地の物資が集まる場所へ到着したのは深夜。そこには不眠不休で
市民のために物資を供給し続け、疲れ果てた様子の市役所の方々が
出迎えてくれました。とても疲れているのに皆さん、本当にごめんなさい。
そこで生々しい南相馬市の現実を聞かせていただきました。

震災や津波は天災です。しかし、原発事故はまさに人災。我々が普段何気なしに
使っている電力の源が周辺住民を苦しめています。いや、もはや全国民をも。
しかし原発周辺の住民は放射能という見えない恐怖と今この瞬間も戦っているのです。

結局その日は車中で一晩を過ごします。寒かった。氷点下の寒さはとにかくつらかった。
とても余震とはいえない強い揺れの中、放射能の恐怖におびえながら日々を送る被災者の
心中を思うと、悔しくて。

次の日の朝、津波の被害にあった場所へ向かいます。これも軽率な行動です。
ただ、どうしても見ておきたかったのです。知らなくてはいけないと思ったのです。

DSC_4776_convert_20110328220748.jpg

南相馬市の建物の被害は瓦が落ちる程度で、町中は想像以上に普通の状態でした。
ところがある一線を越えてから事態は一変します。津波の被害にあった場所に到着しました。

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DSC_4779_convert_20110328221322.jpg

建物はなぎ倒され、いったいどうしたらこんなことになるのか、津波の威力は
私の想像をはるかに超えていました。

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DSC_4809_convert_20110328222604.jpg

道路はここで終わり、そこから広がる世界は、まるで世界の果てのようでした。
あまりにも静かで。恐ろしくて。足の震えが止まりませんでした。なんだか息も苦しくて。

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DSC_4822_convert_20110328224246.jpg

しばらく呆然とさまよい歩き、少しだけ高台にある比較的原型をとどめる建物にたどり着きました。
そこは、お年寄りがリハビリを行う老人保健施設でした。
もうこのあたりからよく覚えていません。ただ、風に揺れる紅白の布だけが生々しく記憶に残っています。

DSC_4827_convert_20110328224517.jpg

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写真は、被災した方々が生活を送る体育館です。県外への一時避難を伝えるアナウンスが
行われていました。放射能被害を恐れてか、マスコミの方も一切おりませんでした。
他の避難所では復興の兆しがみえてきているようですが、ここ原発周辺の地域では、
先の見えない、手の出しようのない苦しみに、活路を見出せない状況が現実です。

さて、私たちにはいったい何ができるのでしょうか。様々な憶測も飛び交う中、今でも
震災前と変わりなく何不自由ない生活を過ごしている私たちに何ができるのでしょうか。
家をなくし、家族を亡くし、希望の光さえ見いだせない人々がたくさんいるこの現実を
ふまえ、私たちがいまできること。真剣に考え行動に移すときだと思うのです。

暗い話ばかりではありません。高校センバツの選手宣誓をご覧になりましたでしょうか。
岡山の高校球児がたくさんの人々に希望を与える力強い宣誓でした。

創志学園主将選手宣誓http://www.youtube.com/watch?v=mDfhZMLlDzo

あの選手宣誓を聞き、腹の底から力が湧き出てくるのを感じた人は多いはずです。

様々なスポーツ選手が今こそと立ち上がり、チャリティを行い、全身全霊を込めた
プレーで日本人を元気にしようとがんばっている。
日給数百円のタイのスラム街では80万円もの大金が募金として集まる。
人口2000万人の台湾からは、57億円もの募金が集まった。
現地の病院では、不眠不休で医療を行う医師や看護士がいる。
現地に入り、ボランティアで被災者を支えている人たちがいる。
命を賭して原発の被害を食いとどめようとがんばっている男たちがいる。

震災の被害にあっている人々をみている我々の視線は、
やがて日本を見る世界の眼に変わります。

我々の子供たちに恥じることの無い日本を造っていくためには、この危機を日本人
全員で乗り越える強い意識が必要です。偉そうなこと言って本当にごめんなさい。
でも、やらなきゃいけない時なんだと思います。まさにみんなでやれば大きな力になる。
じゃあ俺は何ができるんだ?自問自答の毎日ですが、
焦りを解決するためには行動するしかない。そう思っています。

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強烈ですね。阪神大震災を思い出します。そう言えば、華原朋美さんがデビューしたのは阪神大震災の年1995年でした。そして今また震災との縁を感じます。地震の年に降臨した華原朋美さんは、地震の年に再臨し、また多くの人々を励ましてくれるのかなと感じています。
1日も早い復旧を祈ってます。全国民が被災したのと同じです。私も頑張ります。
  • 2011-03-28 23:58
  • 東郷
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お兄さん、朋美さんへ

ご無沙汰しております。
仁美です。
震災以来、節電のためなるべくパソコンをつけずに生活していたので、今日お兄様のブログ読ませていただきました。
お兄様の会社のある浦安も被害が大きく心を痛めております。
お兄さんの素早い行動と勇気とてもすごいことだと思います。
私も自分の中でできることを日々考え実行にうつしています。
いまこそ、甚大な被災地でない私たちが手をとりあって協力すべきです。
被災地の方にこれ以上がんばってなんて言えません。
私たちが力を与えないとだめなんです。
みんなが一つになって、今だけじゃなく長い期間で支援しなければならないと日々思っています。
お兄さんのお言葉・・・
日本をもっといい国にしよう!!
その通りです。
みなさんがんばりましょう!!!

朋美さん
海外から日本のご家族のことさぞ心配なさっていると思います。
今日本では、みんなが同じ方向を向いて助け合っています。
朋ちゃんは、朋ちゃんのペースでね。
東京ではガソリンの供給が安定してきました。
なので、久しぶりに車に乗り、朋美さんの歌を聴きました。
あなたの声は、人の気持ちを温かくする力がある。
そう改めて感じました。
  • 2011-03-29 14:48
  • 仁美
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前を向いて・・・・。

 ニュースでも見ましたが、本当に大変なことが起きてしまったんだなと思いました。けど復興へ向けて頑張っている姿を見て、励まされました。
 つらいことがあっても、前を向いて頑張らないと思いました。
  • 2011-03-29 16:01
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テレビではわからない南相馬市原発被害区域への情報を知ることができました。さらに私も何かしなければという思いです。お兄さんの行動力はとても素晴らしいです。
  • 2011-03-29 17:27
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不眠不休の行動

不眠不休の行動、
とにかく、南相馬市の市長さんの声を聴いて、
物資を届ける勇気に、頭の下がる思いです。

この世でない光景に出会い。
さぞ、驚かれたことでしょう。
ひしひしと、写真を通して眼に飛び込んできます。

自分に何が出来るか、問いかけるヒゲG。
詩を届けるしか手だてがない。と思い。

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『癒しの詩をあなたに』
140字のツイッター風を詩集を開設しました。

まだ、100作程度ですが、
順次、癒しの詩をアップしていきます。
また、のぞきに来てください。

自分にできることは何か、私も自問自答の日々です。
答えは、「自分の仕事を自分の力の限りしっかりと行う」。
自分の仕事をしっかりやり、毎日を大切に生きるようにしています。
お互い頑張っていきましょう
  • 2011-03-30 12:08
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One for All , All for One

こんにちわ。
初めてコメント致します。

私は阪神淡路大震災が起きた時、丁度、淡路島に住んでいました。
当時、中学生でしたが地震の揺れの大きさは今でも覚えています。
そして明け方地震で揺れ始めた時の父が言った一言。
「皆起きろっ!地震や!!!大きいぞー!!!!!起きて逃げるんやぁ!!」
そしてその後の記憶は未だにありません。

いま、東北沖で起きた震災での被害の大きさに驚嘆し
更には阪神淡路大震災での被害の大きさの
すでに3倍・・・それ以上は行くだろうと思っております。
当然ながら復興も10年以上の月日が掛かるだろうと予想も出来ます。

TVやニュースを見る度、当時の事を思い出しては
ただただ震えと涙が止まりません。
人、一人の力はたかが知れています。
人は一人では生きて行けません。
誰かの支えと誰かの助けが必要です。

朋ちゃん。
私の青春はリアルタイムで朋ちゃんを見てきました。
今の朋ちゃんもきっと誰かに支えられている事と思います。
キラキラと眩しい笑顔は人を幸せにすることができます。
ずっと今でも大好きな朋ちゃん。
朋ちゃんの歌と笑顔に当時の私は本当に励まされました。
今もお父様と愛犬と幸せに過ごしてくれていて何よりです。
でも辛い過去でも人はそれを乗り越えて行かねばなりません。
被災された方々と遠く離れた国からでも一緒に乗り越えて下さい。
周りを見渡しそのパワーを受けながら頑張って下さい。
被災地の方々はきっと今の現状を打破し乗り越えますから!
何年かかっても力強く今の困難を乗り越えますから!
遠くても近くても見ていて下さい。
あの阪神淡路大震災からも復興出来た様に
今回も必ず東北の方々は復興して見せますから。
そして再び落ち着いたらまた朋ちゃんのキラキラと輝く笑顔を見せて下さい。

被災地に行かれた忠道さま。
沢山の被災地の写真を載せて下さり有り難うございました。
言葉にならず出てくるのは未だ涙です・・・
地に足をつて踏ん張り、自分に出来る事をしっかりと。

One for All , All for One
  • 2011-03-31 11:16
  • WB
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何か出来る事はないか、考えたりしてます。
募金したり信用出来るチャリティーグッズを買ったりしてます。
一日も早く復興出来る事を願ってやみません。
  • 2011-04-01 18:03
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初めまして

初めまして。
知人がこちらのブログを紹介してくれました。

私の実家は南相馬市です。
未だ故郷の変わり果てた姿を信じることができません。
震災翌日、テレビで見た映像に涙どころか、震えが止まらず
身体が強ばってしまいました。

今は両親は県外の私の姉宅に決死の脱出をしましたが、原発のおかげで実家に戻れません。
両親の命と実家は津波の難を逃れて、とても幸いでしたが、生き残った者の使命、復興に向かうことができないのです。

この実情を掲載して頂いたこと、ありがたく思います。
市長も必死の訴えを行っており、頼もしく思っております。

そして何より、忠道さまの行動力に頭が下がります。
こういった行動を起こしてくださることに、とても心が励まされます。
ありがとうございました。



私も
  • 2011-04-02 00:00
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下河原忠道

株式会社シルバーウッド代表取締役
/薄板軽量形鋼造システム スチールパネル工法躯体販売事業/サービス付き高齢者向け住宅「銀木犀 ぎんもくせい」運営/財団法人サービス付き高齢者向け住宅協会理事

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