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死ぬこととは

医師です。
ちょっと前に「あおげば尊し」という重松清さん原作の映画がありましたね。死に瀕したかつて教師であった主人公の父親が、小学校の教師である主人公の教え子に「死とは何か」を身をもって教える・・という内容の映画だったと思います。
3世代同居、あるいは世代毎の繋がりが今ほど疎では無かった頃、「死ぬこと」は日常の一部でした。例えばご飯の支度をすること、仕事へ行くこと、寝る支度をすること等と同じように「死ぬこと」は日常生活の上で意識されていたように思われます。そのような環境で育ち、また医療従事者の端くれになって20年あまり、自分にとっては「死ぬこと」は日常のもの以外の何物でもなくなりました。
でも最近の患者さん、あるいはそのご家族を見ていると「死ぬこと」とは仮にそれがその人のごく近い人に生じたものであっても、どこか遠くでの出来事のように捉えているようにしか見えない方々が多いなあと印象は拭えません。
「あおげば・・」は本来日常の営みであるところの人の死と周囲の者がそれを看取るという行為を、教師による教育という所からアプローチした、という筋の映画でした。でも実際、それを学校教育で行い続けることは無理のあることだと感じざるを得ません。
我々大人が次の世代の人間に「死ぬこと」とはどういうことかを教えていくこと、それは喫緊の課題でもあると思います。
  • 2014-05-25 18:09
  • にわか愛読者
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Re: 死ぬこととは

にわか愛読者様

コメントありがとうございます。
あおげば尊し、素敵な映画ですよね。
私も高齢者住宅の運営を通じて初めて「死」というものにふれました。
それがなければ死について考える事もしなかったのだと思います。
最近の若者の自殺やいじめなど、実は死というものに対する理解がない
ことに原因があったりするのではないかと思いました。
高齢者住宅における家族の看取りが病院とは違う、新しい形になるのでは
ないかと真剣に考え行動しています。
また考えがまとまったらブログに書いてみます。
これからもどうぞご指導をよろしくお願いいたします。


> 医師です。
> ちょっと前に「あおげば尊し」という重松清さん原作の映画がありましたね。死に瀕したかつて教師であった主人公の父親が、小学校の教師である主人公の教え子に「死とは何か」を身をもって教える・・という内容の映画だったと思います。
> 3世代同居、あるいは世代毎の繋がりが今ほど疎では無かった頃、「死ぬこと」は日常の一部でした。例えばご飯の支度をすること、仕事へ行くこと、寝る支度をすること等と同じように「死ぬこと」は日常生活の上で意識されていたように思われます。そのような環境で育ち、また医療従事者の端くれになって20年あまり、自分にとっては「死ぬこと」は日常のもの以外の何物でもなくなりました。
> でも最近の患者さん、あるいはそのご家族を見ていると「死ぬこと」とは仮にそれがその人のごく近い人に生じたものであっても、どこか遠くでの出来事のように捉えているようにしか見えない方々が多いなあと印象は拭えません。
> 「あおげば・・」は本来日常の営みであるところの人の死と周囲の者がそれを看取るという行為を、教師による教育という所からアプローチした、という筋の映画でした。でも実際、それを学校教育で行い続けることは無理のあることだと感じざるを得ません。
> 我々大人が次の世代の人間に「死ぬこと」とはどういうことかを教えていくこと、それは喫緊の課題でもあると思います。
  • 2014-05-28 13:55
  • 下河原忠道
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死を意識する努力


素敵な本のご紹介です。このブログでは2度目になるかな?

恋ちゃんはじめての看取り―おおばあちゃんの死と向きあう (いのちつぐ「みとりびと」)
という本です。写真が中心の絵本のような本ですね。

滋賀県の山沿いにある小さな集落に住む小学校5年生の少女が、大好きだった92歳のおおば
あちゃんの死と向き合う物語です。


恋ちゃんはじめての看取り―おおばあちゃんの死と向きあう (いのちつぐ「みとりびと」)恋ちゃんはじめての看取り―おおばあちゃんの死と向きあう (いのちつぐ「みとりびと」)
(2012/01/20)
國森康弘

商品詳細を見る


本文より

関東のある小学校では、「人は死んだら生き返りますか」という質問に4割の子どもが「はい」
「生き返ることもある」と答えました。恋ちゃんの小学校でも5,6年生の3割が同じように答え
ています。ゲームの影響でしょうか、3回までリセットできる、と答えた子も少なくありません
でした。
しかし、おおばあちゃんを看取った恋ちゃんの答えはちがいました。
「人は死んでしまうと、つめたくなり、二度と生き返りません。」
「でも、おおばあちゃんは私のなかで生き続けています。」
いのちはリセットできません。人間だけでなく生きているものは一度死ぬと、もう生き返るこ
とはできません。そして、生きとし生けるものにはすべて、いつか必ず死が訪れます。



今、銀木犀という高齢者住宅では、最期は病院ではなく、ここ銀木犀の住み慣れたお部屋で迎え
たいと希望する方が増えています。いや、そもそも病院でなんか死にたくないとずっと思ってい
たのですが、進みすぎた医療技術がそうはさせなくしてしまっただけではないかと。
皆様一様に積極的な延命治療を希望せず、自然な死を目指しています。それは、私にとって、
大変な学びとなっています。

最近思うんです。
あえて死を意識する努力が必要なのだと。

現代生活に慣れてしまった私達は、自分が「死に関わる存在」であることを忘れてしまっている
ように感じます。人間は100%死にます。それにしては死に対する教育を一切受けていない。
年間3万人近い日本人が自ら死を選んでしまうことも、死を意識していないことが影響している
のではないでしょうか。

銀木犀での看取り援助を始めてからたくさんの人の死にふれ、私は死について考えることが決し
て疾しいことではなく、至極健全なことであると思いました。死を考えていくと、どう生きるか
という考えに自然となっていくのです。命はとても儚く、そして尊いものです。この年で我が子
を持ち、命の誕生をこの目で見ました。それは死と対極にあるもので、密接に関係しているもの
なのだと。

人は死んだら生き返るという子どもが命の大切さをどれほど理解しているのか。
本に登場する小学5年生の恋ちゃんは、おおばあちゃんの死に向き合う事で、命の大切さを学び
ました。これは何よりものおおばあちゃんの教育だと思います。

もし、高齢者住宅銀木犀が地域と一体となり、世代を超えた交流がなされるようになれば、そこ
は子どもたちや私達親にとっても命の大切さを学ぶ場所になり得る。そんなことを考えています。

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死ぬこととは

医師です。
ちょっと前に「あおげば尊し」という重松清さん原作の映画がありましたね。死に瀕したかつて教師であった主人公の父親が、小学校の教師である主人公の教え子に「死とは何か」を身をもって教える・・という内容の映画だったと思います。
3世代同居、あるいは世代毎の繋がりが今ほど疎では無かった頃、「死ぬこと」は日常の一部でした。例えばご飯の支度をすること、仕事へ行くこと、寝る支度をすること等と同じように「死ぬこと」は日常生活の上で意識されていたように思われます。そのような環境で育ち、また医療従事者の端くれになって20年あまり、自分にとっては「死ぬこと」は日常のもの以外の何物でもなくなりました。
でも最近の患者さん、あるいはそのご家族を見ていると「死ぬこと」とは仮にそれがその人のごく近い人に生じたものであっても、どこか遠くでの出来事のように捉えているようにしか見えない方々が多いなあと印象は拭えません。
「あおげば・・」は本来日常の営みであるところの人の死と周囲の者がそれを看取るという行為を、教師による教育という所からアプローチした、という筋の映画でした。でも実際、それを学校教育で行い続けることは無理のあることだと感じざるを得ません。
我々大人が次の世代の人間に「死ぬこと」とはどういうことかを教えていくこと、それは喫緊の課題でもあると思います。
  • 2014-05-25 18:09
  • にわか愛読者
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Re: 死ぬこととは

にわか愛読者様

コメントありがとうございます。
あおげば尊し、素敵な映画ですよね。
私も高齢者住宅の運営を通じて初めて「死」というものにふれました。
それがなければ死について考える事もしなかったのだと思います。
最近の若者の自殺やいじめなど、実は死というものに対する理解がない
ことに原因があったりするのではないかと思いました。
高齢者住宅における家族の看取りが病院とは違う、新しい形になるのでは
ないかと真剣に考え行動しています。
また考えがまとまったらブログに書いてみます。
これからもどうぞご指導をよろしくお願いいたします。


> 医師です。
> ちょっと前に「あおげば尊し」という重松清さん原作の映画がありましたね。死に瀕したかつて教師であった主人公の父親が、小学校の教師である主人公の教え子に「死とは何か」を身をもって教える・・という内容の映画だったと思います。
> 3世代同居、あるいは世代毎の繋がりが今ほど疎では無かった頃、「死ぬこと」は日常の一部でした。例えばご飯の支度をすること、仕事へ行くこと、寝る支度をすること等と同じように「死ぬこと」は日常生活の上で意識されていたように思われます。そのような環境で育ち、また医療従事者の端くれになって20年あまり、自分にとっては「死ぬこと」は日常のもの以外の何物でもなくなりました。
> でも最近の患者さん、あるいはそのご家族を見ていると「死ぬこと」とは仮にそれがその人のごく近い人に生じたものであっても、どこか遠くでの出来事のように捉えているようにしか見えない方々が多いなあと印象は拭えません。
> 「あおげば・・」は本来日常の営みであるところの人の死と周囲の者がそれを看取るという行為を、教師による教育という所からアプローチした、という筋の映画でした。でも実際、それを学校教育で行い続けることは無理のあることだと感じざるを得ません。
> 我々大人が次の世代の人間に「死ぬこと」とはどういうことかを教えていくこと、それは喫緊の課題でもあると思います。
  • 2014-05-28 13:55
  • 下河原忠道
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下河原忠道

株式会社シルバーウッド代表取締役
/薄板軽量形鋼造システム スチールパネル工法躯体販売事業/サービス付き高齢者向け住宅「銀木犀 ぎんもくせい」運営/財団法人サービス付き高齢者向け住宅協会理事

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